「…昔の、ことなのだ。」


そう言って

小さく  あの人は笑った






6/流浪の旅人






「……では、大宰。銘河を経て北甲国に向かう。急ぎ準備を。」

召喚の儀の翌日、僕は陛下……星宿様のもとに参じた。

読み蓄えた知識が、少しでもお役に立てるならと思って。

「すまなかったな、張宿。疲れているところを。」

「いえ、そんな。……そういえば星宿様、

井宿さんはどういった方なのですか?」

「井宿?自称流浪の旅人で、長い間諸国を巡っていたそうだ。

様々な術を扱う術者で、よく私に助言もしてくれる。

……頼りになる男だよ。」

突然どうしたと問われそうで、

僕は礼を申し上げ、その場を退出した。




彼が、その装束から旅人であるのはわかっていた。

術師であるのも、召喚の儀の一件で知っていた。

けれど、僕は少し「井宿」という人に興味を持った。

運河を推す理由として僕が幾つか進言したとき、

星宿様は仰ったのだ。

「なるほど、やはり運河が良いか。

井宿も、丁度同じことを言っていたよ。」と。

ただの流浪の旅人ではないと思う。

運河周辺の地理が旅の経験に基づくものとしても、

政[まつりごと]に疎い人なら、あの進言はないだろう。

親族の誰かが官吏だったか、それとも…

「だ!」「わ!?」

廊下の曲がり角、その本人と見事にぶつかった。

「…イタタ、すまなかったのだ張宿。………張宿?」




「ヒック…痛いよぉ……ッ。」

急にぼろぼろと泣き出され、井宿は少々面食らった。

昨日の様子では、なかなか賢いしっかりした子だと思っていたが、

やはり慣れない場所で緊張していたのだろうか。

それとも、まさか打ち所が悪かったのでは…。

「すまなかったのだ張宿、ちょっと考え事をしていて……。

とにかく軫宿のところに行くのだ!」

「いえ…大丈夫…で………すみま…せん…。」

確かに怪我も無さそうだが、泣き止む気配も無さそうだ。

迷った後井宿は、膝を落として張宿を抱き寄せた。

嗚咽とともに時折

「…僕なんかで……僕なんかが……」と呟く声も聞こえたが、

そのまま「よしよし」と背中を撫で続けていると、

だんだん落ち着いてくる。ほっとして立ち上がりかけ、

「すみません、ご迷惑をお掛けしました。」

再び井宿は面食らった。

「張宿……、もう大丈夫なのだ?」

「はい、大丈夫です。すみませんでした。」

……この変わり様は何なのだとも思うが、追求するのも憚る。

「だ……。今日は星見祭りがあるらしいのだが、

張宿は早めに休んだ方が良いのだ。」

「そうですね、わかりました。」

「だ♪オイラは少し出掛けるから……それじゃ。」

「あ、井宿さん!」




「そういえば、井宿さん。もしかして昔、官吏を目指して……」




その時

僕は聞かなければ良かったと思った




不躾だったとか  興味本位で失礼だったとか

そんなことより

出会って間もなかったけれど

一瞬  僕には彼が「井宿」さんじゃないように見えた

「道W」が出てきたように  何故だか僕は逃げ出したかった




そんな僕の頭を  数回撫でて




「…昔の、ことなのだ。」

そう言って小さく  あの人は笑った




あの日から  長い旅が始まった

美朱さんや鬼宿さん達と  色々なことを話した

けれど

あの日以来  井宿さんに僕は一度も

旅する前のことを  聞けないままだ








'06,02,23,
な、長くなってしまった(汗)他と比べて結構かなり長く……;
井宿と同じで、運河を通って行くのが良いそうだ」との、
この星宿の一言で、ここまで妄想できるものなのか自分(呆)



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